西多賀探検記A

木流し堀

木流堀とは?
     富田付近の名取川六郷堰から入れた水を、広瀬川まで引く、全長約6q、深さ約1mの水路。
    仙台藩が家臣に支給する燃料の丸太(間太)を運搬するために造られました。
     また富沢周辺からでる、豊富な農産物を仙台城下には運ぶ為の運河としての役割を果たしていた、と言われてます。
    完成は江戸時代初期(慶長の初期)と、思われてます。
流し木について
    名取川水系・二口近くの森林を輪伐、流し木の長さは三尺(約90p)と決まっていて、伐採が始まると
    大勢の人が二口峠や作並上流の山に入る(広瀬川は澱橋木場)。仙台藩では藩の生活を豊かにするため、
    家中に無償支給とありますが、本人の禄高によって数量に差があり武士の武術修行のため本人自身での
    木割りを奨励したそうです
時期と木場   
    流し木の時期は、秋に木の葉が落ちると木材は冬眠に入る。その時期に伐採を行い、初冬から3月にかけての雪解けの水を
    利用し急流に乗せて流し、田植えのまえに終わるようにした。
     現在の仙台南高等学校付近が貯木場(流木蔵)になっていたと思われます。
  、
 
名取川からの取水口
ここが木流し堀の、始まりです。有料道路の下を通って、広瀬川まで、
全長約6qの水路。 
   
農業用水としても、貴重な水源であったでしょう。
途中農産物を洗うのか?洗い場のようなものが設けられています 
   
木流し堀は、一時笊川と合流します(左の写真)。
右側の写真が笊川から木流堀が独立して、広瀬川へ向かいます。
 
   
この辺りはまだ田園風景が残っています。用水路にも、使われています。 このあたりは、何度も大雨で氾濫に遭い、水害に見舞われています。 
「水神」と書いてあるようです。神様を祭ってるのでしょうか?
しかし道路側に、背を向けて建ってるのが気になります。

   
国道286号線を潜って、鹿野方面に向かいます。
この辺りに来ると、堀も大きくなって洪水にも耐えれるようです。
右の写真は、鹿野周辺、春には桜の花が満開になります。
   
仙台南高校付近です。きれいに整備されてました。
右の写真は、木流堀出口です。延々6kmの旅でした。 
   
 左の写真が木場、右の写真手前が広瀬川です。    
 
 大年寺と広瀬川と宮沢橋


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